ネタバレOK?なっちゃんのメモめも

ただの漫画好きおばさんのただのメモ 雑談も多めです~

パラノイア・ズライカ 最終回 結末 ネタバレ注意

巻頭のページ、床に届くほどの長い髪を真っ直ぐに垂らした若い女が、何も映っていない見事な彫刻をほどこした大きな鏡の前に、全裸で立っている絵にはうつつを感じません。

「パラノイア」とは妄想性パーソナリティ障害と検索すると意味がでてきます。精神病の一つだそうです。一瞬響きが魅力的なワードですが、ギリシャ語から来ている言葉だそうです。

ページをめくると1980年代も終わりに近づいたころの風俗がひしひしと伝わってきます。某アイドルが大流行させたヘアカットの女性、凝ったカップに丁寧に淹れられたコーヒー、シュガーポット、観葉植物が一杯天井から吊るされ、ボックス席境界にもふんだんに置かれ、無駄が多く、野暮ったく、すすけた印象のある「喫茶店」の光景がひろがります。

そんな中で、大きくサイドにパーマをかけたアイドルヘアの女性が過去に親しかった友人の話を続けています。流行の先端に馴染んでいるこの女性、「祥子」には似合わない対照的なタイプとみ子という地味で貧相なかつての女友達のことを、記憶をたぐりながら、前に座っている人間に説明しているようです。

そして、この時、この話の主人公は「とみ子」ということが、分かります。「祥子」の記憶のなかでの「とみ子」は自分の話をよくする女のようです。他人の話は聞かず、延々と自分の話をします。相手が聞いていようが、そうでなかろうがどうでも良い様です。それが証拠に人の目をみてはいません。宙を仰いでたかと思うと、かたわらの草をむしっていたり、挙句の果ては目をつむっています。一見人が苦手なようにみえる彼女のしぐさですが、他人には人一倍執着をします。

通りすがりのイケメン風男子学生、現代国語の若い男性教師、全て興味を持った人間には、自分へも関心を持つようにふるまいます。そして、必ず、自分が支配が出来るような位置に立って行動します。もれなく被害者意識を持っている風をも装います。この計算ともみえる、心のなかでの画策はどのような原因がもとでつくっていくのか、理解しかねるところです。「とみ子」にはその一連の行動によって起きる結果が大層こころよいのです。しかし彼女の、屈折した快感は彼女自身の中だけで味わっていることは、不可能になってきました。自分の手にした幻の甘美な好物を取ろうとする者には容赦がなくなってきたのです。

ここからが、正常な人間と精神異常な人に分けられる境界線なのでしょう。このラインを超えたら、病なのです。「とみ子」は現実と妄想との区別が、もうできなくなっている、あるいは現実を無理やり妄想や自分の求める幻に当てはめることに人生を費やすことになっていきます。友人の「翔子」の彼氏が自分が故意に起こした事故で亡くなり、その焼香の場で倒れた「とみ子」は何を思っていたのでしょう。少しは正常な精神ものぞかせる時があったというのでしょうか。

そして、その後東京の有名広告会社に就職したという「とみ子」は、同じ会社のエリートとの結婚が決まったとの報告を親友「祥子」にします。

場面は変わり、洗練された大人の女性「榊原圭子」がいきなり登場です。おもむろにラークのタバコを出しライターで火をつけます。ここから、ちぐはぐであった「とみ子」の種明かしが始まります。「とみ子」が有名広告会社の社員ではなく、アルバイトであったこと、「とみ子」と婚約したはずのエリート男性は「榊原圭子」と婚約が結ばれている事、そして、最大のアクシデントは新婚旅行の空港出国ロビーに「とみ子」がヘッドドレスを着けてスーツケースを持って、汗をかきながら走り込んできたこと、もうこのころは完全に「とみ子」の精神は現実世界から断ち切られていたのでしょう。そうでもしないと、彼女は自分を守ることが出来なかったのかもしれません。希望がかなえられる妄想の世界に浸り耽ることで、自分を解放したのでしょう。

辛く苦しかった幼少の頃のトラウマから逃げるための防御本能が「とみ子」には強く働きすぎたのかもしれません。しかし、「とみ子」が依存するものが常に男性になっているということは、作者のジェンダーフリーな価値観の意趣返しでもあるのかなとも感じられる奥の深い作品でした。